2012年4月19日木曜日

そして2年の月日が流れ去り。

平成21年5月。 すべてはここからはじまった。
平成22年7月、フロア主任に昇進すると、管理職としての研修が続いた。
つい先日、ちゃんと知っておかなきゃと個人的に受講。
そして。今の職場で働くようになって今日で986日目。あと109日で勤続3年となる。だから。

2012年2月28日火曜日

ぼんやりと、ただ意味なく。

散髪に出かけた帰り道、この仕事に就くきっかけについて、ぼんやりと思いだしてた。たぶん。その頃通勤に使ってた電車を見てふと思いだしたんだ。 ワタシは。派遣社員の終わりの4ヶ月を家から100km近く離れた工場で働いていた。家と職場との間には新幹線の駅が2つあって、一度くらいは新幹線で通勤してやろうなんて思ってた。 もともとは。ワタシは家から10kmほど離れた工場で働いていた。事業拡大のためのライン移転バナシがあったのが2008年の夏ごろ。その頃はまだ景気は良かった。北京でオリンピックが開催され、続いて上海では万博が控えていて、中国大陸での特需が当て込まれていた。ところが。同年秋にはリーマンショックがあり、結果としてラインの移転は事業拡大としてではなく、事業統廃合として実施されることになった。そして。ラインにはグループ会社の不採算部門の社員が配置転換として投入され、派遣切りが粛々と行われ始めた。 2008年秋。ワタシは北陸にあるグループ会社から配置転換された人たちと一緒にラインに立っていた。彼らはもともとは磁気テープを生産していた人たちで、グループ内では真っ先に統廃合の対象とされた。そして晩秋。ワタシはそんな北陸の人たちと100km離れた工場へと移った。そこへ移った派遣社員は選抜された僅かな人数で、殆どが派遣切りの対象とされた。選抜された派遣社員のうちの数名は、生産に欠かせない要員として、派遣先の会社は社員登用を進めていて、ワタシにもその打診はあった。けれど。ワタシはそれを断り、2009年2月に派遣切りされた。もともとの工場で派遣社員として働いていたのは数百人。そのうち社員登用の打診があったのは数名。光栄ではあったけれど、工場での仕事を正社員として続けるつもりはまるでなかった。 2008年秋から、休憩室ではいつも「次の仕事」が話題だった。工場に働き口は見当たらず、かといって他にできることもなかった。みんなお先真っ暗だった。そんなとき、広告で見たとホームヘルパー講座のハナシをした人がいた。もちろん、そのときはジブンには関係ないハナシだと思った。誰もがそう思ったように。2009年2月。雇用契約が切れる直前のワタシは、ふとそのハナシを思い出して、講座の申し込みをした。 いまのワタシはそれがはじまりだった。そして。かれこれ2年半、グループホームで働いている。

2011年2月11日金曜日

続・それから。

お久しぶりです。

ここに記事を投稿したのは去年の11月が最後だから、
この頁を開くのはおよそ3ヶ月ぶりになります。

更新されず打ち捨てられたブログに記事を追加する意味だとか、
一度は離れてしまった場所へ舞い戻るためらいだとか、
思うことはいろいろとあるけれど、こうして文章を綴ってる。

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僕は相変わらずグループホームで
ユニット・リーダーとして働いている。

この間も(やはり)辞めてしまおうと思ったことは
何度となくあったけれど、それでもまだこの仕事を続けている。

仕事を辞めてしまおうと思う理由は、決まって人間関係。
それはスタッフに対してであったり、上司に対してであったり。

それでも歯をくいしばって仕事を続けているのは、
こうして仕事を続けてる限り少なくとも
収入には困らないし、
これまでのつみあげたモノを無にしてしまうのは
勿体ない気がするし、
以前と比べたら仕事はうんとキツくなったけれど
反面自由度は増したし、
そんな理由から。残念なことに積極的な理由ではない。

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この間に良いニュースは何一つなかった。。
自慢できるようなことはまったくなく、
あるのはうんざりさせられるような話ばかりです。

ただ。未経験ではじめたこの仕事も、
僅かとは言え1年半の経験を積みました。
ユニット・リーダーとしての経験も7ヶ月になります。
相変わらず悩んでばかりですが、
幾らか迷わず動けるようになりました。
このブログを書きはじめた頃とは違います。
一方で、この間に得たモノだけでなく、
失ったモノのことを考えると気弱になったりもするけれど。

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別に誰からもそんなモノは求められていないけれど、
このブログに結論(のようなモノ)があるとするならば、
介護の仕事は誰にだってできるということです。
ただ仕事にまつわるあれこれには相当うんざりとさせられるけれど。

介護に対する『意識』が著しく低い人たち。
介護に対する『理念』ばかりが空回りする人たち。
前者によってホンネの居直りに引きずられ、
後者によってタタマエの空論に引きずられ、
介護の現場はダブル・バインド状態で多く戸惑います。
その間を軽やかに疾走する感じで働けたら一番いいのだけれど。

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あの凄惨な派遣切りからちょうど2年が経ちました。
あの頃の仲間はいまどうしてるのだろう?時々思い出す。
確かにここはとてもひどい場所だけれど、それでも、
僕に一つのキッカケをくれたことは間違いはなくて、
だから介護の世界にはとても感謝してる。

それと。こんなことは初めて口にするけれど、
介護の仕事を好きになれたんだと思ってる。

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以前のように頻繁にブログ更新はできないけれど、
Twitter は再開します(多分)。

2010年11月23日火曜日

苦情対応。

2日前、近隣住民から騒音に対する苦情が入った。施設設置の給湯器の音がうるさいとのことだった。その近隣住民は、たびたび施設に苦情を寄せている。給湯器の他にも、玄関のチャイム音や換気扇やエアコンの室外機や。苦情は電話で寄せられることがほとんどで、怒りに任せて言いたいことを言ってしまうと、一方的に切ってしまう...ということが多い(らしい)。幾ら怒ってるからとは言え、その態度はあまりにひどいと思う。

けれど。もし自分が相手の立場だったら、同じように怒るかもしれない...とも思う。ローンで買った念願のマイホームの南隣が介護施設で、そこから日々耳障りな音が聞こえてくるのだとしたら。

一番の問題は、原因が給湯器であれ、玄関のチャイム音であれ、換気扇であれ、エアコンの室外機であれ、それが騒音に該当するかどうか...なのだが、正直なところよく分からない。法的な話は別として、それらが騒音と言えなくもないし。

今日、社長命令でそのお宅を訪問した。社長の命令は「物腰柔らかく威圧してこい」というもので、必ず男性2人以上で訪問するように言われた。その命令もひどい。そして、そのお宅を訪問すると。チャイムを押すと玄関先に子供が出てきた。しばらくすると奥さんがやってきて、要件を伝えると、ご主人をそこへ呼んだ。ご主人はなかなか出てこなかった。玄関先にやってきたご主人は立ったまま、奥さんは正座をして、こちらの話を聴いた。来意を伝えると、ご主人は「電話をした覚えはないけれど、確かに騒音はうるさいですね」と言った。それならば話をしても仕方がないと思ったけれど、せっかくここまで来たのだし「せめて」と思って、僕は騒音についての会社の見解を取りあえず伝えた。話を続けている途中で、正座した奥さんはご主人の袖を引っ張って、しびれを切らすように言った。「どうして電話をしてないなんて嘘をつくのよ。正直に話したらいいじゃない。」それはとても悲哀に満ちた声だった。そこでの話は結局平行線で終わった。予想通りに。こちらは設備には問題ないと言い続け、あちらは騒音対策をしろの一点張りだった。

その夫婦は僕よりも幾らか若い感じだった。子供が2人居て、僕たちが話を続けてる間、ずっと小さなボールで遊んでいた。夫婦はこんな話もした。「このままではここには住めない。住宅ローンが残っているけれど、どこかに引っ越すしかない...そこまで思い詰めている。」その間、子供たちはずっと無邪気だった。けれど、夫婦はとても不幸そうに見えた。そして。すべての不幸の原因は、あなたたちのグループホームにあるのだ...そう言われているような気がした。

会社に戻ると、社長に訪問の結果を「平行線」と報告した。すると、どういった訳か説教を喰らう羽目にあった。社長はどうやら僕にチンピラのような役回りを期待していたようだった。社長は「お前が何を言っても責任問題にはならない」「警察を呼ばれたってかまわない」とまで言った。

そんなことがあって、今日は一日を深い憂鬱の中で過ごした。とにかく。この「騒音問題」は、僕の人生にはあまり関係ない。確かに僕はいまこの問題に巻き込まれている。けれど。最終的には僕自身の問題ではありえない。本当にうんざりしたときには、会社を辞めてしまえばいい。それだけのことだ。そして。喧嘩をしたければ、当事者同士が好きに争ってくれたらいい。

2010年11月7日日曜日

菊人形ブーム、到来!

ひらかたパーク で開催されている ひらかた大菊人形 へ出かけてきた。勝手に観光協会 の福島県編を見て以来、気になって仕方がなかった菊人形の世界。



ひらかたパークに到着したのは開場の30分程前。にもかかわらず、ゲートには菊人形を一目見ようと駆けつけた老若男女が列をなしていた。菊人形ブームの予感!



開場はひらかたパーク敷地内のイベントホール。テーマはおなじみ『龍馬伝』



来館者を出迎える坂本龍馬(衣装はもちろん菊)。



菊人形のワークショップ(下半身に注目)。



坂本龍馬の一生が全11場面で再現されていたけれど、菊人形に夢中で説明書きは一切読まなかった。だから、撮った写真も誰の人形なのか、さっぱり分からない始末。



菊人形の足下はどれも濡れている(セオリー)。



ところが。龍馬だけは靴を履いているので足下が濡れてない。まさに菊人形界でも風雲児!



龍馬。顔の造作がNHKのアノ人にややひきずられてしまって似ていないだけでなく、菊人形でさえないなんて、もはや致命的。みうらじゅんならきっとこう言うと思う。『この人形が今ひとつ龍馬に似ていないのは、眉間にびっちり皺が入っていないからだよ』



こんなお色気シーンも。



オリジナル・グッズも多数取り揃え、菊人形ブームは予感ではなく、確信へ!