2012年2月28日火曜日
ぼんやりと、ただ意味なく。
散髪に出かけた帰り道、この仕事に就くきっかけについて、ぼんやりと思いだしてた。たぶん。その頃通勤に使ってた電車を見てふと思いだしたんだ。
ワタシは。派遣社員の終わりの4ヶ月を家から100km近く離れた工場で働いていた。家と職場との間には新幹線の駅が2つあって、一度くらいは新幹線で通勤してやろうなんて思ってた。
もともとは。ワタシは家から10kmほど離れた工場で働いていた。事業拡大のためのライン移転バナシがあったのが2008年の夏ごろ。その頃はまだ景気は良かった。北京でオリンピックが開催され、続いて上海では万博が控えていて、中国大陸での特需が当て込まれていた。ところが。同年秋にはリーマンショックがあり、結果としてラインの移転は事業拡大としてではなく、事業統廃合として実施されることになった。そして。ラインにはグループ会社の不採算部門の社員が配置転換として投入され、派遣切りが粛々と行われ始めた。
2008年秋。ワタシは北陸にあるグループ会社から配置転換された人たちと一緒にラインに立っていた。彼らはもともとは磁気テープを生産していた人たちで、グループ内では真っ先に統廃合の対象とされた。そして晩秋。ワタシはそんな北陸の人たちと100km離れた工場へと移った。そこへ移った派遣社員は選抜された僅かな人数で、殆どが派遣切りの対象とされた。選抜された派遣社員のうちの数名は、生産に欠かせない要員として、派遣先の会社は社員登用を進めていて、ワタシにもその打診はあった。けれど。ワタシはそれを断り、2009年2月に派遣切りされた。もともとの工場で派遣社員として働いていたのは数百人。そのうち社員登用の打診があったのは数名。光栄ではあったけれど、工場での仕事を正社員として続けるつもりはまるでなかった。
2008年秋から、休憩室ではいつも「次の仕事」が話題だった。工場に働き口は見当たらず、かといって他にできることもなかった。みんなお先真っ暗だった。そんなとき、広告で見たとホームヘルパー講座のハナシをした人がいた。もちろん、そのときはジブンには関係ないハナシだと思った。誰もがそう思ったように。2009年2月。雇用契約が切れる直前のワタシは、ふとそのハナシを思い出して、講座の申し込みをした。
いまのワタシはそれがはじまりだった。そして。かれこれ2年半、グループホームで働いている。
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